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自己紹介と研究テーマ

自己紹介

宇都木昭(うつぎあきら:「宇津木」ではなく「宇都木」である点に注意)。筑波大学大学院博士課程修了。博士(言語学)。専門は言語学・音声学。韓国(交換留学生:1年半、研究員:9ヶ月)とイギリス(研究員:2年)に住んでいたことがある。

大学院生のときは朝鮮語(韓国語)*1ソウル方言(韓国の首都ソウルで話されている言葉≒韓国の標準語)の韻律(特に、イントネーションなど)を言語学的に研究しており、その後、朝鮮語の他の方言の研究や日本語にも研究対象を広げてきた。また、理化学研究所に入ってからは、乳幼児の韻律の獲得という学際的な問題に取り組んでいる。

研究のほかに非常勤講師として、筑波大で音声学を、東京理科大で朝鮮語を教えている。

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研究テーマ

以下は、私の行っている(もしくは関心を持っている)研究のうち主要なものを、専門外の方々にもわかっていただけるようにまとめたものです。昔書いたものなので、最近はまたちょっと方向が変わってきたのですが・・・。いずれまた改めて書き直したいと思っています。

ソウル方言の韻律

朝鮮語を習いはじめたばかりの頃のこと、朝鮮語の先生からこんなことを言われたことがある。「あなたの発音はプサン方言みたいよ」と。これは、当時の私にとってとても意外だった。自分ではプサン方言を話しているつもりは全くなかったのである。

なぜこのようなことが起きたのか?それは、こう考えることができる。日本語に様々な方言があり、それぞれに異なった音声上の特徴を持っているのと同様に、朝鮮語にも様々な方言があり、その音声は互いに異なっている。そして、当時の私の発音が、何らかの理由でプサン方言に似ていたということである*2。もちろん、プサン方言であって悪いということはない。ただ、私を含め、多くの学習者にとって、目標としているのはプサン方言ではなく、最も標準的なことば、つまりソウル方言である。だからこそ、朝鮮語の先生には私の発音がプサン方言のようであったことが耳についたのだろうし、それを指摘された私もまた意外だったわけである。

さて、ソウル方言とプサン方言では、音声に違いがある ― このことをもっと掘り下げて考えてみよう。言語学において、音声は、さらに細かく分節音と韻律(プロソディー)とに分けられる。分節音とは母音や子音のことである。一方、韻律とは高さや強さや長さに関する特徴のことで、アクセントやイントネーション、リズムなどがここに含められる。ソウル方言とプサン方言の違いは、分節音と韻律の両方に見出すことができる。しかし、どちらが二つの方言の違いを特に際立たせているかといえば、二つの方言を少しでも聞いたことがある人ならば、韻律の方であることは容易に想像がつくだろう。実際、当時の私の朝鮮語の発音も、母音や子音に特に問題があったわけではないと思う。プサン方言のように聞こえたのは、主に韻律に原因があったわけである。

当時の私も、言語学的な概念に熟知していたわけではなかったものの、上のようなことにうすうす気づいてきた。そして、上手なソウル方言の発音ができるようになりたいと考えていた。では、どうすればいいか。答えはとてもシンプルである。プサン方言的になっていた自分の今の韻律の癖を捨てるとともに、ソウル方言の韻律を身につければいいわけだ。しかし、そこまではわかったものの、そこから先がたいへんだった。当時の私が知る限りでは、ソウル方言の韻律のことなど誰も教えてくれなかったし、どんな本にも書いてなかったのだ。書いてあるとすれば、ソウル方言には示差的アクセント*3がないということぐらいだった。しかし、問題は、示差的アクセントがないにせよ、ソウル方言にはそれ以外の何かがあり、誰も教えてくれないその何かが、ソウル方言をソウル方言たらしめているということなのだ。

以上長々と書いたことが、私がソウル方言の韻律に興味を持つに至った動機である。具体的に自分自身の手で研究を行うようになったのは大学院に入ってからで、それ以来今までずっとソウル方言の韻律が私の中心的な研究テーマになっている。私がソウル方言の韻律に関して明らかにしようとしているのは、基本的には、どこをどう高く(あるいは強く/長く)発音すればいいかに関する規則のようなものである。今では基本的なことはだいぶわかってきたと思うが(そもそも、研究しはじめて気づいたことだが、世界は広く、すでに研究を行って行っていた先人たちがいた ― ただ、日本ではその業績がほとんど知られていなかっただけのことだ)、奥の深いテーマで、研究すればするほどに新たな課題が浮かび上がってくる。そんなわけで、今なおこのテーマについて研究しつづけている。

他の言語・方言の韻律

上のように、これまでの私の主たる研究テーマはソウル方言の韻律だった。しかし、最近は、他の言語・方言の韻律にも興味を持っている。特に興味を持っているのは、自分の母語である日本語東京方言や日本語の他の方言、そして朝鮮語の様々な方言である。どちらの言語も、アクセントの面では研究がかなり進んでいるが、イントネーションの面ではまだ手付かずの部分がかなりあると思う。

生成文法*4の研究では、様々な言語を分析することや複数の言語を比べることで、言語の普遍性と個別性が明らかになり、そのことが理論の発展につながってきた。そしてそのようにして発展した理論がまた、個々の言語の分析を一段と深いものにしてきたという歴史がある。同じようなことが、韻律研究やイントネーション研究においてもできるのではないかと思っている。特に日本語と朝鮮語は、韻律の面で互いによく似た特徴を持っているとともに、研究の進んでいるヨーロッパの諸言語とはかなり異なる特徴を持っている。こうした言語を研究することは、韻律の一般理論に対してもインパクトを与えることにつながるのではないかと思う。

音声のメカニズム(音声学と音韻論のインターフェース)

韻律研究を含め、音声の研究は、人間の音声を操るメカニズムをぬきにして語ることはできない。個々の言語の音声は、そのメカニズムによって生み出され、また聞き取られ理解されるものだからである。そのようなメカニズムそのものについても、私は関心を持っている。

そもそも、音声のメカニズムは、言語学的な音声研究を行う人々の多くにとって、次のように理解されている。つまり、音声は人間の脳の中では記号のようなものとして存在していて、脳の中で離散的に処理された後、音声器官の運動に置き換えられ、発音される。それを聞く側では、発音された音声は耳から神経を通って脳へと伝えられ、その過程で何らかの処理が行われ、最終的に元の記号列へと復元される、というようにである。ここで重要なのは、音声には記号的な段階と、それ以外の段階とがあるということである。このうち前者は音韻的過程と呼ばれ音韻論の研究対象とされ、後者は音声的過程と呼ばれ音声学の研究対象とされている*5

しかし、実際に研究をしていると、ある現象が音韻的過程と関わるものなのか音声的過程と関わるものなのかは、必ずしも自明なものではない。私のように韻律の研究をしていると、特にそうである。そこで、その現象がどちらの過程に関わるものなのかということ自体が、研究の争点となりうる。また、二つの過程の境界がどこにあるのか、そして、そもそも二つの過程がそのように明確に分けられるのかということも、決して明らかにされているわけではない。さらには、音声のメカニズムにおける二つの方向、すなわち産出と知覚の関係についても、よくわかっていないことが多い。結局のところ、前の段落に書いたことは、音声研究の前提のようなものでありながらも、それ自体が「事実」というよりは一つの大雑把な「モデル」なのであり、今後具体的解明や修正がなされていくべきものなのである。

さて、こうしたメカニズムの問題について、私はこれまで本格的に取り組んできたわけではない。しかし、これまで行ってきた韻律研究はどれも、この問題と深く関わっており、いずれは真剣に取り組みたいと思っている。

音声教育

ソウル方言の韻律を研究していると人に言うと、ではソウル方言の韻律の特徴は何かとよく人に聞かれる。しかし、残念ながら、ソウル方言の韻律の特徴を簡潔なかたちでうまく言うことができない。それには二つの理由があると思う。一つには、その特徴が複雑で、一言では言い切れないというから。そしてもう一つには、韻律研究を専門としていない人でもわかるような言葉で話すことがとても難しいからだ。

しかし、難しいとはいえ、それをする必要があると最近感じている。昔の私のようにソウル方言の韻律を身につけたいと思っている朝鮮語学習者は、案外多いようだ。そして、それに対して応えている教師や学習書は、いぜんとしてあまりに少ない*6。教師の中には、ソウル方言の韻律に興味を持つ学習者に対し、そういうことは重要ではないと言って切り捨ててしまうような人もいると聞くが、これはどうかと思う。確かに、考え方によってはもっと重要なことが他にいろいろあるかもしれない。しかし、学習者のニーズは多様で、ネイティブのような発音になりたいと思っている学習者は現実に存在している。そのような学習者のニーズに対し、応えられる「何か」が必要だと思う。

もちろん、ここで必要なのは、言語学的な韻律研究の成果をそのまま伝えるということではない。それは上に書いたようにとても難しいことだし、また、仮に正確に伝えられたとしても、そのこと自体に意味があるわけではないだろう。学習者のニーズに照らして必要になるのは、知識を伝えるということではなく、韻律が身につくようにするということなのだ。つまり、言語学的な韻律研究の延長線上のものではなく、その成果を生かしつつもそれとはまた別の次元のものとして、音声教育の研究および実践が必要なのだ。

そんなわけで、音声教育(特に韻律に関する教育)をどう行っていくべきかを考えている。方法はいろいろあると思う。初級段階で文法や会話の授業と並行して行っていくもの、中・上級レベルでの発音矯正など。また、教室での授業もあれば独習もある。そうした様々な状況に応じた方法論や教材、そして教師の教育が必要となってくる。

とはいえ、上に書いたような他の研究テーマもいろいろあり、今のところ音声教育には本格的に取り組むことができないでいる。さしあたり、このサイト上にソウルマルのイントネーション:入門編をはじめたが、こちらもなかなか進まない。 ... 期待されている方がいらっしゃいましたら、どうか気長に待ってください。


脚注

*1

主として朝鮮半島で話されているこの言語は、日本では「朝鮮語」とも「韓国語」とも呼ばれる。人によっては、大韓民国の言語と朝鮮民主主義人民共和国の言語を異なるものとみなし、前者を「韓国語」、後者を「朝鮮語」と呼び分けている人もいるようだが、私は両者を一つの言語の変異とみなしているため、呼び分けるようなことはしていない。したがって、ここでの「朝鮮語」「韓国語」はともに、朝鮮半島全体の言語を指している。ついでに言えば、李氏朝鮮王朝時代の言語という意味で用いているわけでも、もちろんない。

この言語を「朝鮮語」と呼ぶか「韓国語」と呼ぶかはしばしば悩みの種であるが、学術的には「朝鮮語」が用いられることがよくあり(最近は「韓国語」を使う人もだいぶ増えてきているが)、私もこれまで単著の学術論文では一貫して「朝鮮語」を用いている。このページでも、「朝鮮語」を用いている。ただし、私自身、頑固に「朝鮮語」とだけ呼んでいるわけではなく、ふだんの会話の中では「韓国語」と呼んでいることの方がむしろ多いと思う。そのようなわけで、このサイト内でも、もしかしたら一貫性のないところがあるかもしれない。

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*2

今にして思えば、原因は二つあったと思う。一つは、私がはじめて朝鮮語を習った相手がプサン出身者だったこと。当時はまったく気づかなかったが、数年後に久々にその人に会ったとき、彼の発音がものすごく訛っていることに驚いたものである。もう一つは、日本語(の多くの方言)とプサン方言(およびそれを含む慶尚道方言)が似ているということである。つまり、どちらも高さの起伏が比較的激しいという特徴があるのだ。一般に、外国語学習の過程では、母語の影響を受けやすい。つまり、日本語を母語とする人が朝鮮語を学習すると、母語である日本語の影響で高さの起伏が激しくなり、結果として慶尚道方言のように聞こえてしまうというわけである。実際、日本の朝鮮語学習者には、発音が慶尚道方言みたいだと言われた経験のある人が少なくないと思う。

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*3

示差的アクセントとは、韻律による単語の区別のことである。例えば、日本語の共通語では、「雨」と「飴」は高さによって区別される。このような区別が示差的アクセントである。日本語でも、北関東から南東北や、九州の一部などには、示差的アクセントのない方言が分布している。これらの方言では、「雨」と「飴」を発音で区別することができない。

朝鮮語にもまた、示差的アクセントのある方言とない方言とがある。例えば、慶尚道方言には示差的アクセントがあるが、ソウル方言には示差的アクセントがない。

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*4

生成文法とは、アメリカの言語学者チョムスキーを中心として20世紀半ばからさかんになった言語理論のこと。今日の言語学においては、非常に影響力がある。

生成文法の詳しい解説は、ウィキペディアの項目「生成文法」にある。また、専門外の人にもわかるように書かれた本として、S. ピンカー著『言語を生みだす本能(上・下)』がある。

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*5

ただし、このようなかたちでの音声学と音韻論の区別は、生成文法(およびその下位分野としての生成音韻論)の立場に立った場合のものである。他の理論的立場では、音声学と音韻論の区別は、これとは違ったかたちでもなされうる。

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*6

もっとも、最近は徐々に現れつつある。例えば、『韓国語ジャーナル 第12号』には、長渡さんの書かれた解説がある。

韓国語ジャーナル(第12号)

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